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証し
 私の人生のページをめくる時、「あのことがなければ」「こうしていれば」、忘れてしまいたい事、やり直したいことがたくさんあります。でも、戻すことも、早めることもできない「時」の法則。その「時」は果たしてどこへ流れ去って行ったのか。 そんな過去の過ちが赦され、マイナスと思われる出来事がプラスにかえられ、新しい今日が迎えられるとしたら・・・ そんな、奇跡に出会ったのは私が18才のころ。あれから、長い年月を経て、日々驚きを覚えるのは、「すべてのことを働かせて、益として下さる」神様の不思議です。その「時」のたどり着いた所は、神様の深い御胸の中でした。

 聖書 ローマ人への手紙8章28節「神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 神様は私たち一人ひとりをこの世の始まる前から知っておられ、又、その罪深さも十分に知りながら、私たちを受け入れ愛して下さるお方です。その、愛の最大なデモンストレーションは、私たちの罪の解決のためにイエス様を 十字架で身代わりとすることでした。それは私たちの魂を神に買い戻すために払われた代価でした。 とするなら私たちはどんなに神にとって大切なものでしょう。人間関係でつまずき孤独な私たちに 神様の無条件の愛が魂を癒せる唯一のものだと思います。その、変わらない愛の中で 休んで頂きたいとあなたに送ります・・・「I LOVE YOU」

「間違いではなかった私の命 」

 沖縄には現在5,000人以上の混血児がいると言う。私もまたその5,000人中の一人の混血児としてアメリカ統治下の沖縄で生を受けた。同世代に生まれてきた大多数のハーフと同様、「私生児」として……。

 幼い頃の私はおてんばで、じっとしていることが苦手な子どもだった。近所の友だちと野原や畑を駆けずり回り一日中遊んでいた。手や足に生傷が絶えないそんな私に、生涯忘れることができない、心の傷ができる事件があったのはちょうどその頃だった。

 「令子、あんたもらい子よ!」 一緒に楽しく遊んでいた友達が突然なんのためらいもなく教えてくれた。びっくりしたのとショックで、心がはちきれそうだった。いや、もしかしたら心の奥では、すでに感じていたのかもしれない。両親の顔も兄の顔だって完全に日本人なのに、私だけがほりの深い西洋風な顔立ちをしているのだから・・・・・・。でも、その友達の一言はあまりにも悲しかった。その瞬間、私は自分の「価値」を無くしてしまった。「私はこの家の本当の子どもではない。だから愛されていないんだ・・・・・。」 まだ5歳の私には、この事実を理解することなど無理だった。ただ何よりも一番大事な家族の愛を失ってしまったような気がした。それからは両親の愛が信じられなくなり、「やっぱり愛されていないんだ」と卑屈になっていった。

 心の傷はそれだけにおさまらなかった。この容姿のおかげで「アメリカー、あいのこ」といじめられ、泣きながら家に帰るのもしばしばだった。そんなとき私を慰めてくれたのは父の店で働いていた“お兄ちゃんたち”だった。涙を拭きながら帰って来る私に、優しくこう言ってくれた。「誰がいじめたの?どら、お兄ちゃんがやっつけてやるよ!」 そんな言葉にいつも慰めを受けていた。ずいぶん後でわかったのは、私を励ましてくれたその3人のお兄ちゃんたちも、実は父が孤児院から引き取ってテーラーの仕事を教えていたのだという。彼らもきっと親がいないことでいじめられ、さみしい思いをしたに違いない。だからこそ、自分のことのように親身になって優しい言葉を掛けてくれたのだと思う。

 アメリカ兵との間にできた私を育てることができなかった母は、4ヶ月の私を養女として手ばなした。中学生の頃には、その事実を知らされていた。「望まれて生まれてきたのではない。間違いで生まれてきたんだ」と思うと、自分の価値はますます低くなっていった。そんな寂しさを満たすために、毎晩ディスコにいりびたり、万引きをし、たばこを吸い、酒を飲んだ。そしてしまいにはマリファナにまで手を出すようになっていった。中学校を卒業した後、念願のアメリカンスクールに入学させてもらった。知らない父へのあこがれと、自分の半分のルーツへの興味もあって、どうしても英語をマスターしたいと思っていたからだ。そこで英語だけでなく、聖書も学ぶことになるとは夢にも思わなかった。

 その後、私は歌手になることを夢見て上京した。17歳の時だった。“有名になって、自分をいじめた人達を見かえしたい”という思いに加えて、“自分は生まれてきて良かったんだ”という、自分に対するアイデンティティーの確立のためでもあった。オーディションに合格した。嬉しかった。でもそれ以上の感激や喜びはなかった。それどころか、ちょうどその頃マリファナの後遺症で起こる理由の無い恐れにさいなまれるようになった。夢が実現するかも知れない大事な時に、心が恐れでいっぱいになってしまった。自分が自分の心に裏切られたような気持ちだった。どうしていいかわからなくなった私は、歌手を断念して沖縄に戻った。誰にも言えず、一人で「心」と戦う日々だった。「なぜ生まれてきたのだろう。こんなに大変な人生だったら生まれてこないほうがよかった・・・・・・。できればこの人生を終わりにしたい」 そう思っても怖くて死ねない。生きるすべもなく、ただ絶望するだけの毎日だった。

 そんな時思い出したのがクリスチャンスクールで毎日のように聞かされた神さまのことだった。「そうだ!『神様はあなたの人生を変えてくださる』といつも言っていた。教会に行ってみよう。」 次の日曜日に教会へ出席した。学校時代にいやいやながら歌った賛美歌を会衆と共に歌い出した瞬間、歌が魂に染み込んできて、涙が止めどもなく流れた。礼拝後、先生をみつけた私は、「神さまを信じたい」と打ち明けた。先生は私の手を取って一緒に祈ってくれた。「神さま、どうか罪びとの私を赦してください。イエスさま私の心の中にお入りください。そして人生を導いてください。」 短い、単純な子どものような祈りだった。しかし祈った瞬間、今までかつて味わったことのない安心感と喜びが心の中に泉のように湧き上がってきた。まるで誰かがそれを流し込んでくれているように・・・・・・。もう嬉しくて、嬉しくて、街路樹や小さな野花までもが美しく目に飛び込んできた。何を見ても愛おしかった。18歳の春、イエスさまに出会った瞬間だった。

 それからは、イエスさまが聖書をとうして私の疑問や悩みに答え、心を癒してくださった。私生児の私に「母の胎のうちで、私があなたを組み立てた」と声を掛け、両親に育てられなかった私に、「あなたの父母があなたを見捨てるとき、主があなたを取り上げてくださる」と言ってくださった。一人ぼっちだったと思った私に、「私はあなたと共にいる」と言い、価値が無いと思っていた私に、「あなたは私の目には高価で尊い。私はあなたを愛している」と言ってくださった。

 この世に生を受けた人で、間違って生まれてきた人は一人もいない。さまざまな苦しみに遭う時、その苦しみが益になるとは、その時には考えられない。しかし、苦しみの中でしか出会えないイエスさまがいる。その人にしか解らない苦しみは、またそれを乗り越えた人にしか味わえない喜びも与えてくれる。そしてその経験は自分だけに留まらず、周りの人達のためになりうることを教えられた。死にたいと思った私が、今は同じように苦しんでいる人たちにイエスさまの愛と、誰でも神さまにあって新しい人生が与えられるということを伝える使命を与えられ、ゴスペルを歌わせてもらっている。

 コンサートに来てくださった方々に、「慰められた。希望が与えられた」と言っていただくと、“私の苦しみはこの人のためでもあったんだ・・・・・・”と、神さまの摂理に感謝の思いが湧いてくる。やっぱりもう一度生まれ変われるとしてもハーフの上原令子で生まれてきたい。

(いのちのことば社発売・マナブックス発行『やっぱり、生きるってすばらしい』より)

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